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傑作の呼び声高い「山寺グラフィティ」が発表されたのは1979年のことだ。(余談だが「あの花」の30年以上前である)

僕は、この作品が、藤子F不二雄SF短編の一つの集大成であると常々思っている。

この作品の人気は高く、ファンの間で行われたアンケートでも、並みいる藤子F不二雄SF短編の中で、堂々1位を獲得したほどだ。

後にSF短編と括られる作品の初出とされているのは1968年の「スーパーさん」や1969年の「ミノタウロスの皿」と言われている。

その後、実に120本もの短編が発表されている。

SF短編の発表作品数
1970年5本/1971年1本/1972年5本/1973年7本/1974年6本/1975年7本/1976年14本/1977年7本/1978年7本/1979年14本/1980年8本/1981年8本/1982年11本/1983年7本/1984年1本/1985年1本/1986年1本

さて、本作「山寺グラフィティ」の話に戻ろう。

(あらすじ)上京してイラストレーター活動をして生計を立てている主人公(加藤広泰)は、あるとき街で、幼なじみ(木地かおる)そっくりの少女を見かける。
<しかし、そんなはずはなかった。
<かおるは、広泰が高校生の頃、故郷の山形県で、亡くなってしまっていたからだ。

この「死んだはずの人が生きている」という設定は、SFやホラー、オカルトのジャンルで、よく見かける設定である。

藤子F不二雄作品の中にも「おれ、夕子(1975年)」という、亡くなったはずの夕子が生きているのを見た、という不思議現象から展開していく話がある。
この作品でも死んでいたはずの人間が現れたのは、実は...という種明かしがなされて、話のオチがつく。

本作品も、その例に漏れずなわけだが、更にこの作品にはある「ループ構造」がしかけられている。
といってもいわゆる時間や空間に閉じ込められる類いの話ではない。

では、この作品のどこにループが存在するのであろうか?

ここには、初恋の幼なじみを亡くした男と、愛する娘を亡くした男「心」のもがきや苦しみのループが存在するのだ。


広泰は、あるとき「岩穴の中で微笑むかおるの幻」を見る。

まだ高校生だった頃に二人で遭難して一晩過ごした「あの岩穴」である。


心理学では岩穴(洞窟)は以下のように説明されている。

ほら穴は同一化、すなわち1人の人間が自分自身を見出し、成熟した人間となる心理学的内化の過程が進展する場である。

そのためには外から自分の中に刻み込まれる集団世界のすべてを、混乱に陥る危険をおかして消化吸収し、こうやって外からもたらされた分を固有の力と同化させ、自身の個性と、組織されて行く周囲の世界に適合した人格とを形成するようにしなければならない。

内的自我とその外的世界との関係は同時に相伴って組織されるのである。

ほら穴は、この観点からは、自己の〈差異化〉の問題と取り組む主体性を象徴している。(『世界シンボル大事典』)

何かを思い立った広泰は、脱兎のごとく郷里の山形に帰り、あの岩穴に向かう。

そこには、あたかもそこに女の子が暮らしているかのように、かおるのこけしと食器や家具のミニチュアが置いてあった。

それは、かおるの父親が「かおるの魂が成長できるように」とそこに納めたものだったのである。


こけしには語源の諸説がいくつかあるが、その中に以下のような説がある。
こけしの語源を「子消し」や「子化身」などの語呂合わせであるとし、人生を歩めなかった子どもたちを偲んだり供養したりするために作られたものが「こけし」であるという説(詩人・松永伍一の説)

広泰がかおるの幻を見たのは、何故だったのか?

父親がかおるのこけしを洞窟で暮らさせ続けたのは、何故だったのか?

それは、かおるの死を受け入れられず前に進めない二人の感情がループし続けているからに他ならない。

愛する人を失ってしまった、残された側の人間の苦しみは、頭では理解出来ても、心の根っこのところでは飲み込めようもない。

かおるを失い、その喪失感から解放されず、堂々巡りしていた二人の男の魂が、浄化され、本当の意味でこれを消化し、自らのものとして、新しい一歩を踏み出そうとする瞬間を、この作品は描いている。

そこには、言葉では表現しようのない”刹那さ”が存在する。

そしてその「刹那さ」は、

幼なじみの男の子に恋するひとりの女の子の短い命のきらめきであり、

成就しなかった初恋を心の岩穴に閉じ込めて都会で生きる男に根付く郷愁であり、

成就しなかった娘の幸せを願い続けた父親の深い愛情であるのだ。


最後に、この作品の巻末に藤子F不二雄本人によるあとがきを添えておきたい。

人はみな、その心にファンタジーを育てています。
ときに憧れにも似て甘く、ときに郷愁にも似てせつない心のひだ。
時の流れにおし流され、今ある自分を見失いかけた時、フッと心の奥底に見つけるグラフィティ(落書き)。
あなたもきっとどこかに忘れていますヨ。