「おめでとうございます!」
僕はこの「おおかみこどもの雨と雪」を見終わったあと、こう叫ばずにいられなかった。
「時をかける少女」に続き「サマーウォーズ」を発表し、一気にアニメーション映画監督として一般にも知られる存在となった細田守監督が、次に選んだ題材は親子の物語だった。
細田守作品で常にタッグを組んできた脚本家の奥寺佐渡子が書く「親子の物語」と聞いて、ピンと来るある作品がある。
彼女の脚本家デビュー作「お引越し」(1993年/相米慎二監督)である。
「お引越し」はひこ・田中原作の小説を監督相米慎二が映画化した作品で、本作でデビューした田畑智子が、離婚する両親の間で揺れながら成長する少女を好演し、高評価を得た。
お引越しあらすじ小学六年生の漆場レンコは、ある日両親が離婚を前提しての別居に入り父ケンイチが家を出たため、母ナズナとともに二人暮らしとなった。最初のうちこそ離婚が実感としてピンとこなかったレンコだったが、新生活を始めようと契約書を作るナズナや、ケンイチとの間に挟まれ心がざわついてくる。揺れ動く11歳の少女の気持ちの葛藤と成長を、周囲の人々との交流を通して描くドラマ。(wikipediaより)
そしてこの映画のラストシーンでレンコは「おめでとうございます!」と叫び続けるのである。
◯親子の成長を描いた物語◯
本作「おおかみこども〜」も、稀有な環境から母親業をスタートした主人公の花が、周囲の人々や降り掛かる社会との関わりを通じて、成長する物語である。
小説のテーマとしてよく扱われるものとして「誤配」と呼ばれるものがある。
「誤配」とは読んで字のごとく「間違って配送・配置された」もののことである。
つまり、あるべき場所にないものをいかにしてあるべき場所に戻すのか?という部分が物語となるのである。(そう考えると「山寺グラフィティ」もある意味誤配を扱った作品と捉えることも出来る)
本作「おおかみこどもの雨と雪」では
狼と人間の子として生まれた雨と雪が、異なる二つの生物の狭間から自分のあるべき姿≪狼として生きるか?それとも人間として生きるか?≫に向かって勇気を持って舵を切りはじめる。
母親である花(花は人間である)が、自らの主観的な価値観で我が子の幸福を願う母から、我が子の自主性を尊重し、真の幸福を願える母へ成長していく。
という二つの誤配構造からの物語が描かれている。
◯演出装置の威力◯
前々作「時をかける少女」でも、細田守作品の演出装置について述べた。
さて本作品にも、素晴らしい演出装置がさりげなくも大胆に施されている。
それは「風」である。
ありとあらゆるところでどこともなく「風」が吹いて来る描写が差し込まれている。
「雪が同級生の男の子の前で偽りのない姿をみせるとき」「花が雨を探しに家をでようとするとき」「花に呼び止められた雨が山に戻るのを躊躇したとき」...
気をつけて観るともっともっと見つかるはずだ。
この「風」は、雨と雪の父親であり、花の夫である「彼」そのものである。
「彼」は「風」となって、妻や娘や息子を、時に優しく時に激しく「導く」のである。
花(母親)、雨(娘)、雪(息子)とそれをさりげなく導く彼(父親)を絶妙に配置して、三者三様の成長を有機的に描ききった細田&奥寺コンビに喝采を送らずにいられない。
細田守は、まさにアニメーション映画を文学作品と同格に語られるべき存在に「お引越し」させたのだ。
そして奥寺佐渡子は本作で、その自らの成長をまざまざと見せつけてくれた。だからこそ僕は「おめでとうございます!」と叫ばずにいられなかったのだ。
(追記)三人の導き手である「彼」の仕事が「お引越し」屋さんだっていうのも心憎い限りである。
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