日本代表の14年ぶり3度めの世界一で幕を閉じた第5回WBC大会。
そこには、源田選手の骨折や、吉田選手の同点弾、村上選手の逆転サヨナラなど、ネガティブな状況をものともしない数々の復活のドラマがありました。
侍ジャパンを優勝に導いた栗山英樹監督は「このチームは世界一になれる」と直感した瞬間があったと語っています。
また現役のメジャーリーガーにも関わらず、2月の宮崎キャンプから参加したダルビッシュ有投手の貢献には、選手、監督だけでなく元代表のイチロー氏も賛辞を送っています。
今回は、侍ジャパンの優勝の原動力となった「世界一への強い思い」そして「チームの団結力」にスポットを当ててご紹介していきます。
◆「このWBCに全てをかけます」骨折でも出場を続けた源田壮亮の執念
東京ドームで行われた1次リーグを全勝で通過した侍ジャパンでしたが、その道程は決して順調なものではありませんでした。
2戦目となった韓国戦で、守備の要として代表に選ばれていた源田壮亮選手がアクシデントに見舞われます。
源田選手は三回、2塁走者として帰塁した際に右手小指を骨折。
その後、治療のためこの試合を退いた源田選手は、1次リーグ残り2試合を欠場し、そのまま離脱すると思われていました。
しかし負ければ終わりのイタリア代表との準々決勝に源田選手は「8番・遊撃」でスタメンで出場。
離脱の可能性を報道で知っていたファンの集まった球場をどよめかせました。
源田選手は
「やっぱり、WBCという本当に野球人にとって一番憧れの舞台。
ちっちゃい頃から夢見てきましたし、また今回、栗山監督から最初の12人のメンバーにも選んでいただいたので、もうショートを自分が守り切るんだっていう気持ちはすごくありました」
と今大会に並々ならぬ思いをもっていました。
しかし骨折ともなると、思いだけでどうにかなるような問題ではありません。
そんな源田選手の背中を押したのは、他ならぬ所属球団である西武ライオンズでした。
ライオンズの渡辺久信GMから
「ゲンちゃんの意思を尊重するよ。途中で抜けたら、多分一生後悔するだろう」
とエールをもらい、源田選手は強行出場を決意します。
折れた小指をテーピングし、痛み止めを飲んで、マイアミでの決勝ラウンドもフルイニングで出場。優勝の瞬間までグランドに立ち続けました。
栗山監督は帰国後
「どこまで話して良いのかよく分からないですけど」
と前置きした上で
「セカンドで交錯して、指を骨折して、ベンチ裏に帰ってくる。僕はベンチにいるので見てないですよ。
源ちゃんは、ちょっと治療してセカンドランナーに戻っていって。
その時に『監督、指が完全に横向いています』と言われました。
ボルタレンって痛み止め、本当は水で飲むんですけど、ラムネみたいに口に突っ込んでバーって行く。その魂には本当に感動した」
と衝撃の事実を明かし、源田選手の気持ちの強さを称賛しました。
離脱ではなく帯同。さらにスタメン出場を決断した経緯について
「次の日に、僕が外そうと思って、源ちゃんと話したんですけど、『いや監督。本当に、このWBCに全てをかけます』と。ある程度プレーもできることも確認できた」
と源田選手の熱意の大きさが一番の理由だったと語りました。
源田選手は準々決勝イタリア戦から3試合連続フル出場。
堅実な守備はもちろんのこと、安打や痺れる場面でのバントを決めるなど、利き手を負傷しているとは思えない働きぶりを見せ、世界一に貢献しました。
大会後、源田選手は
「やっぱり、ジャパンのユニフォームをまた着て野球をしたいと、すごく思わされました。達成感も凄いありましたし、人生で一番嬉しかったです」
と感慨深げに振り返り、3年後の連覇に向けて豊富を語りました。
◆起死回生の同点弾に佐々木朗希号泣
世界一奪還にかける侍ナインの執念を象徴するプレーとして私たちの記憶に強く残っているのが、メキシコ戦における吉田正尚選手の同点3ランです。
この試合、先発した佐々木投手は最速102マイル(164km)の速球で三振を奪うなど、3回まで無失点に抑える好投を披露。
しかし、4回に不運なヒットが続き二死1、2塁のピンチを招くと、6番フリオ・ウリアス選手に甘く入ったフォークを左中間スタンドまで運ばれ、3点のリードを許します。
侍打線も再三チャンスを作りますが、あと一本が出ず。打たれた佐々木投手もダッグアウトから必死に声を上げ続けます。
嫌なムードが漂い始めた7回二死1、2塁の場面で、吉田選手が内角低めの変化球をすくい上げると、打球はライトポール際に飛び込む起死回生の同点3ラン。
佐々木投手の失点を帳消しにする一発に日本ベンチは大興奮。
吉田選手がホームランを打った瞬間、佐々木投手も被っていた帽子を勢いよくグラウンドに叩きつけ感情を爆発させます。
現地マイアミにて取材に赴いていた元日本代表の福留康介氏は
「佐々木朗希君が…。先発して打たれて、その後降板したんですけど。このホームランの時、裏で号泣してたんですよ」
と思わぬ姿を目撃したこと明かし
「うれしすぎて。良かったあ~って安心して大泣きしてた。まだ若いんでね、すごい不安だったと思うんですよ。それを先輩が助けたっていうね」
と感動シーンを振り返りました。
佐々木投手本人も
「正尚さんが帳消しの3ランを打ってくれて救われた気持ちになった」
と、この時の心境を語っています。
大谷選手、ダルビッシュ投手、山本由伸投手とともに先発投手として代表入りしていた佐々木投手。
まだ21歳の若き侍が、世界の舞台で味わった数々の経験は、今後の野球人生に、必ずや活かされることでしょう。
◆「やるしかない、打つしかないと腹をくくった」三冠王覚醒の瞬間
「吉田選手の3ラン」、「大谷vsトラウト」と並んで、今大会屈指の名場面として強い印象を残したのが、メキシコ戦における“三冠王覚醒”の場面です。
準決勝のメキシコ戦、1点を追う9回裏無死1、2塁で打席に立った村上選手は、それまでの不振を振り払うかのようなサヨナラタイムリーツーベースを放ち、日本を決勝進出へと導きました。
今大会で印象に残ったシーンを問われた白井一幸ヘッドコーチも
「準決勝で村上選手がサヨナラヒットを打った場面。一塁代走の周東選手がホームに戻ったわけですけど、三塁コーチャーの私としては(腕を)回すか止めるか非常に難しい場面で。
でもベンチに選手全員30人のランナーコーチャーがいたので、何も臆することなく回すことができた。そして、サヨナラ勝ちできたところが一番印象に残るシーンです」
と、メキシコ戦でのサヨナラの場面をあげています。
また、城石憲之内野守備・走塁コーチはその直前のシーンをあげ
「ムネがサヨナラを打つ打席の前に栗山監督の言葉を伝えに行ったんですけど、最初ムネから『何しに来たんだ?』みたいな顔をされて(笑)。
『バントか?』『代打か?』みたいな顔されたんですけど、『思い切っていってこい』と伝えた時のスイッチの入った表情は一生忘れないと思います」
と感慨深げに語りました。
村上選手はこの時の心境を
「やるしかないなと。何度も何度もチャンスで回ってきて、そういうところでなかなか打てずにいました。
バントも頭によぎったんですけど、栗山監督の言葉をコーチの城石さんが伝えてくれた時に、打つしかないなと。腹をくくっていきました」
と語っています。
この試合は、ここまで4打数3三振と結果が出ていませんでしたが、メキシコの守護神ジオバニー・ガイェゴス投手の直球を振りぬき、左中間フェンス直撃のサヨナラ打を放ちました。
最後の最後で飛び出した価値ある一打に、グラウンドで飛び跳ねて感情を爆発させた村上選手は、続く決勝のアメリカ戦でも貴重な特大の同点ソロを放ち、「日本の4番ここにあり」とその存在感を示しました。
◆「あんなバッターではない」村上選手に指揮官が託した思い
昨年、NPBで日本人歴代最多を塗り替える56本塁打を放ち、最年少三冠王にも輝いた村上選手。
MLBからも注目を集めるスラッガーに成長しましたが、今大会ではなかなか結果が出ず、打順も4番から5番に降順していました。
「一番の勝負所、厳しいところで打てるのは間違いない」
と村上選手への揺るぎない信頼を語り、村上選手本人にも
「ずっと本人に言ってきた。『最後はお前で勝つんだ』って」
と鼓舞し続けてきた栗山監督。
大会後の会見で村上選手を最後まで信じた思いを問われると
「本人の中では、最後打ちましたけど、チームに迷惑かけているという感じしかないのではないかと思う」
と不振の苦しみを慮り
「あんなバッターではない。世界がビックリするバッター。それをWBCで証明したいと思ってやってきた」
と目を潤ませながら感慨深げに語りました。
「何が何でも勝ちきる、日本の野球で世界一になる」ことを今大会の最重要項目として掲げていた栗山監督が、もう一つ「自分のやらなければならない使命」としていたのが、「翔平やダルのような日本を代表する選手をこの大会で作る」ことでした。
「WBCが終わった時には、全世界の人が『村上やっぱり日本の4番だよね』って終わり方ができると、前に進めていた」
と、その筆頭として栗山監督が思い描いていたのが、史上最年少で三冠王に輝いた日本の4番・村上選手でした。
栗山監督は帰国後、村上選手に
「ムネ、宿題持ったまま終わるよ。今回出たメジャーリーガーを超えて1番になるために、宿題があった方が前に進めるから」
と、さらなる高みを要求しました。
栗山監督は、今大会の経験を糧に、村上選手が押しも押されぬ日本の4番打者に、そして世界を席巻するスラッガーへと成長することを望んでいるのです。
そんな栗山監督の期待に「次は必ず4番を打ちます」と力強く答えた村上選手。
栗山監督は
「彼が引退するとき、2023年の春先が自分の今を作ってくれたと言ってくれることを信じている」
と重圧の中から這い上がった若きスラッガーの未来にエールを送りました。
◆「このチームは世界一になれる」指揮官が直感したジャパンの団結力
大谷選手、ダルビッシュ投手ら大物メジャーリーガーのほか、佐々木投手や村上選手など若き才能も揃った今回の侍ジャパン。
実力はもちろん、その明るさや雰囲気の良さも目を引きました。
村上選手が不振に苦しむ中、栗山監督は「どう刺激を与えながらチームが勝って行けばいいか」と試行錯誤しながら試合に臨んでいました。
そんな中、大谷選手、吉田選手を筆頭としたチームの団結力がチームを強くしていったと語っています。
「あまり映像に残ってないが、ムネがベンチに帰ってきて、2人がバッティング教えるというか『こういう風になってるんだよね』みたいな話をずっとしていた。
僕以上に、若い選手たちが世界に向かってもっと良くなることを皆が求めているし、そういう選手が増えないと世界一になれないと選手たちも感じながら戦っていたのだと思う」
悩める大砲に寄り添うチームメイトの姿を目の当たりにしたとき、栗山監督は「このチームは世界一になれるんじゃないか」と直感。
その直感は現実のものとなり、侍ジャパンは世界一に輝きます。
白井ヘッドコーチも
「全員がそういうスタンスだった。チームが世界一になるため、それぞれがなにができるか。
試合に出られない選手が、ベンチに座りながらチームの勝利に貢献できることは何か考えて、リーダーシップを発揮して、役割を発揮していく集団だった」
とチームの姿を回顧した上で
「最初からその雰囲気だったわけではなく、どんどん出来上がっていった」
と試合の度に結束を固めていった代表チームの成長ぶりを語っています。
◆現役大リーガー・ダルビッシュが作り上げたチームの輪
今回の世界一奪還において見逃してはならないのが、チーム最年長、36歳のダルビッシュ有投手の存在感です。
2009年の世界一を唯一知る男にして、バリバリのメジャーリーガー。
トレーニングや栄養面の知識も豊富で、戦力としてはもちろん、日本の若い選手たちにとってはこれ以上ない“教材”と共にプレーできる機会が生まれることとなりました。
米国で調整を進める選択肢もある中で、ダルビッシュ投手は2月17日の宮崎強化合宿初日から参加すると、その心遣いに話題が集まりました。
豪華メンバーに囲まれ萎縮していた育成出身の宇田川優希投手をチームになじませようと「宇田川さんを囲む会」を主催するなど、投手陣を中心にコミュニケーションを図りました。
ちなみにこの決起会でダルビッシュ投手が使った合計金額は1000万単位に及ぶそうで、元代表選手の川崎宗則氏も
「今回、決起集会も5~6回、開いてます。多分、彼は2000万くらい使ってます。
とんでもなく野球選手、食べるので。しかも高級焼き肉店ですし。
ダルビッシュ有くんのおかげで、先発投手たちもボールの慣れとか、メジャーの対策とかもたくさんできた。僕は有くんにMVPをあげます!」
と精神的支柱としてのダルビッシュ投手の存在感を称賛しています。
侍ジャパン最年少の20歳・高橋宏斗投手も
「最初はダルビッシュさんが同じチームにいることがビックリするくらい。でも、今は存在に慣れていろいろなことを聞けます。ダルビッシュさんのおかげでピッチャーは仲良くなれてます」
と語るように、ダルビッシュ投手の積極的なコミュニケーションによって、チームの雰囲気はどんどん良くなっていきます。
白井ヘッドコーチも
「宮崎合宿にダルビッシュ投手が最初から参加してくれましたよね。
あそこでダルビッシュ投手も一気に距離を縮めてフラットな関係を作った。
何を言っても大丈夫なんだという安心・安全空間がチームの中にできてきた。そういう意味でダルビッシュ選手の貢献は本当に大きい。
影のMVPはダルビッシュ投手だと思う。不平不満一切出ない、全く耳にしない最高のチームだった」
と絶賛しています。
ダルビッシュ投手のアドバイスは、トレーニングや技術的な知識だけでなく、時差ボケ対策にまで及び、マイアミ到着から2日も経っていない全体練習でも多くの選手がコンディションを保つことが出来たのです。
そのダルビッシュ投手を侍ジャパンに招聘するにあたり
「一生に一度でいいからメンバー表にダルビッシュと書かせてくれ」
と自ら渡米して口説き落とした栗山監督も
「チームを構成するときから、ダルが来てくれたらもの凄く日本の若い投手たちのためになると分かっていたので」
と、ダルビッシュ投手を代表メンバーに選出した思いを語っています。
イタリア戦後には
「今回のチームは“ダルビッシュジャパン”と言ってもいいくらい。自分のことはさておいて、チームのため、野球のため、将来のため……
今、僕が多くを語るつもりはありませんが、いつかきちんとみなさんにお伝えしたいと思うくらい、感謝しています」
と明かしていた栗山監督は、大会終了後
「思った通りというか、それ以上に、自分のことより若い投手のためにやってくれた。ダルが示してくれたものは、日本の野球界にとってもの凄く大きかったと思う」
と期待を遥かに上回る貢献をしてみせたダルビッシュ投手に最大級の賛辞を送りました。
2009年以来となる世界一奪還を果たしたダルビッシュ投手は
「みんな友達みたいに仲良くなれましたし、自分にとって最高の時間になった。
チームワークは絶対に大会でNo.1。明るく、お互いを支え合ってプレーできるのが日本の強いところ」
と大会を振り返りました。
折りに触れ
「見る人にとって、野球が明るく楽しく、ポジティブなイメージであってほしい」
と野球への思いを語るダルビッシュ投手。
日本のために見えないところでも尽力したダルビッシュ投手の貢献が、報われる形でそのイメージに繋がったことは間違いありません。
◆イチローが語ったWBC、侍ジャパンへの思い
第1回、第2回大会において、侍ジャパンを牽引したイチロー氏も、アリゾナのキャンプ地で受けたインタビューで、WBCへの思いを語っています。
「マイアミでのゲームを何試合かテレビで観た。お客さんも連日満員だったし、中南米の選手たちの気持ちの入り方を見れば盛況ぶりは明らかだった。
2006年から、わずか17年でここまで来たんだな、と現場にいなくても感じることができた。感慨深かったです」
と真の世界大会へと成長を遂げつつあるWBCの姿に目を細めました。
また決勝戦、最終回に訪れた「大谷vsトラウト」対決については
「それはこの大会でしか見られないもの。最近は誰対誰、という勝負がなかなか観られないなか、この大会の最後にそれが観られたのは良かった。
国を代表して戦う、この大会の醍醐味でもあると思います」
と語り、国の威信をかけたスーパースター同士の対決の実現は、世界大会ならではであると力説しました。
2006、2009年に2大会連続MVPに輝いた松坂大輔氏とともに、侍ジャパンを世界一に導いたイチロー氏。
今大会、代表選手の精神的支柱となった選手として真っ先に名前をあげたのがダルビッシュ投手です。
「今回何より嬉しかったのは、ダルが日本代表の招集日初日から参加してくれたこと。
2009年の最後のメンバーですから。ダルの思い、意気込みも含めて、チームを引っ張るという覚悟。繋げてくれている証だと僕は思っている。
もちろん次回も代表メンバーに入る状態にあってほしいけど、後輩たちが今回のダルの思いを繋げていってほしい」
と賛辞を送りました。
この言葉を伝え聞いたダルビッシュ投手は
「もちろん光栄ですね。イチローさんに褒められることなんてないと思うので、こういうところで褒めていただけるというのは本当に光栄ですし、自信になりました」
と、ひときわ嬉しそうに語り
「イチローさんが前回2009年に出られたのが35歳くらいで、同じくらいの年齢だったので。
いろいろチームのことをしなきゃいけない中で、ああやって日本代表に時間を割いてくださっていた」
と当時のことを振り返りました。
最後に
「自分もこの年齢になってきてますから、それは若干意識はしましたし、同時に大会期間中イチローさんと自分のやり方は違ったと思いますけど。
置かれている立場というのはすごく似ていたので、『イチローさんも結構大変だったんだな、やっぱり』とか、いろいろ考えることはありましたね。
覚悟というか、自分がどういうことを求められているかというのは、自分の年齢だったり、今までの経験だったりというところで、理解はしてましたので。
だから、そこはちゃんとできたのかなというところはあります」
と満足気に語りました。
今大会に臨んだ侍ジャパンのメンバーは、ほぼ全員がそのユニフォームを着たい、との思いを事前に表明しており、日本ではWBC=真の世界大会という意識が確実に根付いてきています。
イチロー氏からダルビッシュ投手へと受け継がれた『日本伝統のタスキ』。
日本の、世界の野球界のためにも途切れることなく繋がり続けていってほしいものですね。
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